シュリ・チンモイ師に哀悼の意を表して


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あれは1992年であったろうか。
友人からシュリ・チンモイの名前と東京武道館公演があることを聞き、
お会いできることに何の疑いも抱かず、現在のスタッフの一人を誘って出かけたことを憶い出す。
じつは会場に入るには予めチケットを入手しておかなければならなかったのだが、なぜか我々には会えて当然だとの思い込みがあって、何も準備せずいきなり来てしまっていたのだ。

入場の列に並んだところ、すぐ前の数人で連れ立って来た中年女性達が
『チケットが無いと入れないけれど、二枚余計に持って来たのよ』
と話し込んでいた。
私はその方に
『持っていないので、二枚頂けますか』
とお聞きしたところ、
『ええ、差し上げます』
と快く応じて下さった。
シュリ・チンモイ師を通して、神は、すべての準備を調えてくれていたのだ。

公演が始まると、入場した多数の想念が無軌道に、バラバラに、無茶苦茶に噴き出して来たかのような‘音’と‘イルミネーション’が、私達の前に現出した。
それは恰も、湧き上がる私達の想念を一纏めにしてその巨大な渦を、
『これが皆さんの想念です』と、
シュリ・チンモイ師が鏡となって提示して下さったかのようであった。
多数の人々が、堰を切ったかのように噴き出してくるその大勢の‘音’と‘イルミネーション’に耐え切れず、会場を後にした。

Chinmoy_med.jpgやがて公演が終わると、
『聖師は今拝謁の準備をしています』
とアナウンスがあった。
何も分からないまま、私達は会場外のダルシャン・ラインに並び、ゆっくりと師の前に歩いていった。
師の横を通り過ぎようとした丁度その時、私のハートに、目覚めたかのような、表現できないようなセンセーションを感じた。
暖かく、繊細な、
�犧L楹个瓩拭�これからはいつも共にいる��
というような�牴燭��瓩�、
私のハートに灯った。

それは、いまでも続いている。

師との肉体における出会いは、この1度きりであった。
しかし私達を遥かに超えて進化しているこの師は、たしかに、私達を変えて下さったのだ。

Chinmoy.jpgシュリ・チンモイ略歴
・1931年、インド東ベンガル州(現在のバングラデシュ)に7人兄弟の末子として生まれる。
・1944年、両親の死にともない、12歳で南インド・ポンディシェリーにあるシュリ・オーロビンド・アシュラムに入り、弟子入り、以後20年間修養する。
・1964年、米国に移住。以後死に至る迄、世界中にある彼のセンターを通し、スポーツ活動を通し、講演を通し、国連活動を通して人類の霊的向上に努める。彼にあっては、人間活動の一切は霊性を基盤とし、霊性を表現するものであった。1993年には、パラムグル(師の師)であるヴィヴェーカーナンダの地上における39年間の歩みに、自らの39のコンサートを捧げた。
・2007年10月、76歳でマハー・サマーディを得る。

〔彼の著名な弟子にはカール・ルイスがいる。
 親しく共に世界を前進させる同志として、ゴルバチョフソ連邦大統領、
 クリントン米国大統領、ネルソン・マンデラ南ア大統領等々が名を連ね、
 彼の死を悼んだ。〕

公式サイト


2007/12/29